anasian’s diary

ある、アジア人の日常、ふと思う事など、徒然なるままに

「高浜原発運転延長」のニュースに際して

原発は運転開始から40年で廃炉にする」という原則を、原子力規制委員会はやすやすと反故にしました。

東北地震による福島の原発は、老朽化による設備の古さも原因のひとつだったと思います。
原子力発電そのものにも問題はありますが、いままで原子力の恩恵を受けてきたことも事実。

だから、「40年を経過した原発設備には問題があるから順次廃炉にしましょう」という理屈は理にかなったものだと思いました。

それを「原子力規制委員会」はやめてしまったわけです。イメージ 1
これでは「原子力推進委員会」に名前を変えたほうが、実際の機能を表していると思います。

ニュースでは、「田中俊一委員長」という代表者の名前とコメントが記載されています。

私の提案は、

「国や地域において、国民の健康、財産に多大なる影響を与える可能性のある決定、決断に対しては、それを判断した人たちに、通常以上の責任を持つ」

ということです。

通常、仕事をする上での責任というものは、サラリーマンであればその組織(会社)内、経営者であってもその法人としての範囲で責任を負うということが一般的です。
確かに、犯罪などに関わることでない限り、営業判断の失敗、事業の失敗による問題に対しては、個人が追うべき物ではないかもしれません。
近い例で言えば、三菱自動車の燃費偽装問題などについて、偽装を指示した役員、実際にデータを作った担当者が、自分の財産を供出して被害者に保障するということはありえません。

でも、これはあくまでも私企業であり影響も限定的な話。(もちろん安全に問題があって、健康被害がある場合もありますが)

でも、原発事故のように広範囲に影響が出て、後々にまで大きな健康被害が発生し、土地を失うといった財産にも多大な問題が発生する決定については、それを判断した人は、辞めたからといって無罪放免になるのでしょうか?

現に東京電力は、福島の事故に対して被害者に必要十分な保障をしているとは思いませんし、未だに土地を奪われ不自由な生活を余儀なくさせられている人、放射能を心配して福島では子育て出来ない人がたくさんおられます。

自分の判断にはきちんと責任を持ち、将来事故が発生した時にはさかのぼって責任を追及できる様な仕組みがあれば、もう少し慎重で安全にシフトした判断が出るのではないかと思います。

電力会社は今回の決定に対して、「関電は規制委の認可を歓迎するコメントを出した」と記事にあります。

今、私たちにできることは、
①このような決定を後押ししている与党には組しない
②今後出てくる既存の電力会社以外の会社から電器を買う
③できるだけ電気の無駄遣いをせず、「電気が足りないから」という言い訳を封じる

ことではないかなと思います。

ちなみに、現時点で東京電力管内で魅力的な代替電力会社は見当たらないのが現状です。
残念