anasian’s diary

ある、アジア人の日常、ふと思う事など、徒然なるままに

安保法案について

安全保障に関する採決が目前に迫っています。
私は出張先のホテルの部屋で、NHKの放送を見守っています。

先日は国会中継を続けなかったと批判されていたNHKですが、地方でTVのチャンネルが少ない中、唯一継続してこの情報を伝え続けるNHKはやはり貴重な存在です。

雨の中、国会前では大勢の人が反対のデモを続けている様子が中継されています。

昼間行われていた横浜での公聴会では、賛成派が中国などの軍事拡張を念頭に、アメリカとの軍事協力を強化してそれに対応しようという趣旨が多かったと思います。

一方の反対派は、軍事による問題解決の手段拡張が平和主義、民主主義、立憲主義に反するという根本的な問題について主張されていたと思います。

中国政府、ロシア政府といったならずものに対しての対応は苦慮するところですが、これに対抗するために軍事力を強化するということは、第二次世界大戦で日本が陥った状況と同じです。
当時、列強と呼ばれた先進国と、当時発展著しく世界の覇権を狙っていたアメリカに対して、出遅れたドイツ、スペイン、日本が始めた戦争。
状況は少し違いますが、武力で国家間の紛争を解決しようとしていることは変わらず。

こてんぱに負けて、一から出直さざるを得なくなった反省を忘れたのでしょうか?

為政者や資本家については、彼らの利益になるので、この法案に賛成することは理解できます。

しかし、例え第二次世界大戦で勝ったとしても、何の利益も得られなかったであろう庶民の人たち。
それがゆえに最前線で何の恨みもない米軍やアジアの諸国の人たちと殺し合いをした庶民の我々。
夫や息子を戦争で殺され、空襲で傷ついたり殺されたりした女性や子供。

そして今、ぬくぬくと生き残っていた為政者と資本家の子孫は、同じ過ちを始めようとしているのです。

庶民はいつでも馬鹿だからだまされるのでしょうか?
目の前のニンジンにだまされて、変化を嫌い、何事にも反対しない羊のごとく国民なのでしょうか?

これでは、共産党に踊らされている中国の人々となんら変わりません。

前回の選挙で自民党公明党の与党に投票した人たちは、その行為によって日本が再び戦争で紛争を解決しようとする国になり、自分や子供が他国の人と”日本のため”という名目で殺し合いをするのでしょうか?
これからの戦争は、昔のように泥にまみれて血みどろの戦いをするものではなく、コンピューターゲームのように機械同士が戦うという言い訳は幻想です。

戦争はIS(イスラミック ステート)との戦闘をみてもわかるとおり、最後は地道な戦いであり、自衛隊だけで足らなくなることは自明であり、そのときは躊躇なく徴兵制が始まるでしょう。

今、そして次の選挙で必ずその方向を変えなければいけないと思います。

いろいろと思うことはありますが、文才なくその一部も伝えることは難しい。
でも、自分の周りの妻と子供、親戚と友人を守るために、できることはやっておきたいと思っています。